よみもの

  • 2019.08.30

西粟倉・森の学校が地域商社から木材加工会社になるまでの話

西粟倉・森の学校は2019年10月1日創業10周年を迎えます。多くの方々に支えていただき今日まで続けることができました。
本当にありがとうございます。この度10周年を迎えるにあたり、これまでの10年を振り返る連載を書くことにしました。
西粟倉・森の学校のことをより知っていただけるきっかけになれば嬉しいです。

西粟倉・森の学校という社名の由来は廃校

営業先で西粟倉・森の学校という社名を名乗ると「学校法人ですか?」「木育に取り組む団体さんですか?」と聞かれることも少なくありません。
いえ、私たちは木材加工会社です。
西粟倉・森の学校という少し変わった会社名は、私たちがオフィスを構えることになった旧影石小学校が由来です。
旧影石小学校は1999年に廃校になったピンク色の外観がかわいい木造校舎。
西粟倉村にある小学校(廃校)をオフィスとして森に関わる事業を始めたので西粟倉・森の学校という名前なんですね。
また、私たちの取り組みが西粟倉村を飛び越えて他地域でも展開されることや、西粟倉・森の学校で働いたスタッフが会社を卒業し、地域で新たな事業を立ち上げていくことを願っています。
会社名が長く読みにくいこともあり、「株式会社森の学校」「西山倉森の学校」などと間違えられることも多いのですが、西粟倉村内では「森学(もりがく)」と略して呼ばれています。

創業当初の仕事は地域商社とツアー屋さん

西粟倉・森の学校は2009年10月に創業しました。
創業当初は現在の木材加工工場はありませんでした。
西粟倉村で育った野菜を関西の保育園に飛び込みで売り込みに行ったり(野菜の行商)、西粟倉村を多くの方々に知っていただくためにたくさんのツアーを開催しました。
源流の森ツアー、川遊びツアー、ヒメボタルツアー、雪遊びツアー、西粟倉村の木で建てた家ツアー、草木染めツアー、合コンツアー……今まで本当にたくさんのツアーを開催してきました。
この記事を書いている営業部のハダ自身も大学時代にツアーに参加し西粟倉村を訪問した一人です。
当時20歳だったハダは「1,500人の小さな村でも林業で仕事を創り出すことができるんだ!」と深く感動したことをよく覚えています。
それから5年経ち、大学を卒業し、東京の木材商社で働いていたハダは会社を退職して西粟倉村に移住したのでした。
ハダのようにツアー参加者が後の社員になったり、はたまた未来のお客さんになったり、ツアーを通して西粟倉村に足を運んでもらうことで、人や仕事が少しずつ繋がっていきました。
今でも年間200人以上のお客さまに工場や山をご案内しています。
工務店や設計事務所さん、行政職員さん、学生さん、さまざまな方たちが西粟倉村を訪ねてくださいます。
私たちの仕事は地域の木材を生かしたモノづくりですが、ツアーを通して、森づくりの背景や作り手の顔が見えるモノづくりを実践したいと強く思っています。

素人集団による木材工場立ち上げ

創業から1年後の2010年から木材加工工場の立ち上げが始まりました。
工場立ち上げ時のメンバーである西岡(流通部長)は当時を振り返ってこう語ります。
「みんな素人で木材加工のことなんか知らへんからインターネットで“せいざいき”と検索するところからスタートしたんやで」
冗談のような本気の実話ですが、当時はそれぐらい手探りの中で事業が始まりました。
そして、知識も経験もない私たち西粟倉・森の学校にいろんな相談をしてくださるお客さんの気持ちに精一杯応えようと見様見真似で木材加工を開始したのでした。
工場を立ち上げてから9年が経ちました。今ではワリバシ1膳から公共建築物の木材供給までさまざまな商品を加工できるようになりました。
いま思い返せば「自分たちには何も無いからまずは何でもやってみる」という姿勢が私たちのモノづくりを支えているのだと感じています。

10年後の会社の存続率はわずか6%

日本で新しく創業した会社の10年後の存続率はわずか6%と言われています。
つまり、100社の会社が立ち上がっても94社は10年以内に廃業してしまうということです。
私たちは斜陽産業と言われることも多い木材加工業を中心に10年間会社を続けることができました。
これも西粟倉・森の学校を支えてくださる多くの皆さまのおかげです。これからもう10年、20年と継続し、より皆さまに必要とされる会社であり続けたいと思っています。
今度ともどうぞよろしくお願いいたします。  

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